私たちは何のためにこの世に産まれ、そして何のために生きるのか。またどのように生きればよいのか。多くの人が一度はこのような疑問を持った事があるのではないでしょうか。そして明確な「生きる意味」を見つけられないまま現在に至っているのではないでしょうか。日本が少子化になってしまった原因の一つとして、日本人が「生きる意味」を忘れてしまった事だと私は考えております。
かつて、古代の人々は、藁で服を作り、石の鏃(やじり)で狩りを行い、竪穴式住居で生活をしておりました。雨風もろくに凌げず、獣に襲われる事もあり、また病気やケガを治すこともできなかったでしょう。そんな過酷な環境の中でも古代人は必死で生き抜き、そして子孫を残しました。
やがて、人類は文明を発達させ、豊かな生活を手にすることができました。人類が文明や科学を発展させる理由は「不幸を回避し幸福を享受したい」という願いを叶えるためであるといえるでしょう。私たちは、この願いを叶えるために日々の生活を送り、そしてこの世に産まれてきたのです。
人類は現時点で意識・幸福・不幸について科学的に解明できておりません。また生前や死後に意識・幸福・不幸が存在するか否かも解明できていないため、産まれる方が産まれないよりも幸福が多いか否かを、現時点で科学的に解明できない事になります。即ち、産まれるべきか否かを人類は現時点で科学的に判断することができないと言えるのです。これを判断できるようになるためには、科学技術を更に発展させて意識・幸福・不幸について解明する以外に方法がありません。つまり、人類は、産まれるべきか否かを科学的に判断できるようになるために、現時点ではこの世に産まれるべきであるといえるのです。
また私たちは科学技術を発展させて、更なる不幸の回避と幸福の享受を達成することも重要です。例えば難病の克服や不老不死の達成などです。人類の最終目標は「完全なる不幸の回避と永遠なる幸福の享受」であると言えるでしょう。
この目標を達成するためには私たちは力を合わせて社会を発展させる必要があります。皆がそれぞれの立場から社会を発展させる事で初めて実現できるのです。そのために私たちは、勉強し、労働し、消費し、政治へ参加し、結婚し、出産する等といったの当たり前の生活を送る必要があります。当たり前の生活こそ最も洗練された「不幸を回避し、幸福を享受する」生き方であるといえるでしょう。
また特に重要なのが、結婚して子供を産む事です。子供を産むことで、産まれてきた赤ちゃんは、人類として生きる事ができ、これまでに私たちが築いてきた文明・科学技術等を享受しながら、不幸の回避と幸福の追求を行うことができるのです。これは人類以外の生物に産まれてしまってはできません。世の中には100万種類以上の生物が存在すると言われておりますが、文明や科学技術を発展させて、不幸の回避と幸福の追求をできるのは人類しかおりません。もし、赤ちゃんが人類として産まれてこなければ、どのようになっていたかを私たちは知ることができませんが、もしかしたら人類以外の生物として産まれていた可能性もあると言えるのです。少なくとも現代の科学ではこの可能性を否定することはできません。私たちが子供を産む事は、産まれてくる赤ちゃんを人類として生誕させ、そして人類にしかできない「不幸の回避と幸福の追求」を行うチャンスを与えてあげた事になります。これはとても貴重で幸せな事であると言えるでしょう。
私たちは必ず「完全なる不幸の回避と永遠なる幸福の享受」を実現することができます。なぜなら私たちはこれらを達成するまで永遠に科学技術を発展させ続けるからです。もはや「できるかできないか」の問題ではなく、「いつ実現するか」が問題なのです。イーロン・マスクが言っておりました。「人口増加が必要だ。我々の意識の規模も大きくなる。」と。そうです。この難題をクリアするためには、人類の英知を集結する必要があるのです。それも高度な科学、平和で自由がある環境に生きる民主主義国家の国民、まさに日本人が増える事が必要なのです。また人類が多ければ、英知が拡大されるだけでなく、「閃き」の起きる確率も高くなるでしょう。誰かが閃けば、ある日突然、不老不死を実現する方法を発見する可能性もあるのです。つまり私たちは必ず死ぬとは限らないのです。
当たり前の生活を送る事で、幸福を享受しながら文明や科学技術をみんなで発展させ、いつか不老不死を獲得し、完全なる不幸の回避と永遠の幸福を獲得できる事を希望に抱く、これが「生きる意味」なのです。
下記リンクでは、「生きる意味」について詳しく解説いたします。